ゆかりの地

山本虎雄生家跡地

1959年(昭和34年)、虎雄56歳の夏、8月13日から14日にかけて、台風7号が青木村を直撃。虎雄の家の脇を流れていた田沢川が氾濫し、虎雄の家が流失した。近隣でも倒壊・流失した家が何戸もあり、死者・行方不明者を出した。


住む人のいなくなった虎雄の自宅

1959年の台風7号による被災後、虎雄の家族は流された家に程近い場所に新居を建てた。

玄関には、虎雄直筆の表札が残る。

 

山本虎雄の墓

虎雄の自宅近くを走る国道143号沿いの山林傾斜地に、山本家の墓が立つ。

墓誌に虎雄・妻千春の名が刻まれている。(右から2・3列目)

 

栗林一石路歌碑

山本虎雄顕彰碑の近くに、一石路の歌碑「シャツ雑草にぶつかけておく」が立っている。
一石路は、虎雄と同じ青木村の出身。虎雄より8歳年上。無季自由律プロレタリア俳人。ジャーナリスト。

 

山本宣治記念碑 タカクラ・テル記念碑  齋藤房雄顕彰碑

車で10分ほどの国宝安楽寺八角三重塔(上田市)近くに、山本宣治記念碑(1930年5月建立・1971年10月再建)、タカクラ・テル記念碑(1988年10月建立)、齋藤房雄顕彰碑(2006年10月)が立つ。

山本宣治は、労働農民党代議士・生物学者。1929年(昭和4年)3月1日、上小農民組合連合会第2回総会に招かれ「無産党代議士の議会観」と題した記念講演を行い聴衆を魅了した。4日後の3月5日、治安維持法改悪承認の議会にただ一人反対演説をすべく上京したが、その夜右翼の凶刃に倒れる。
タカクラ・テルは、山本宣治の義兄弟。文学者・日本共産党 衆・参議院議員。昭和初期、上田自由大学の講師として別所に在住し、農民運動・民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たした。
齋藤房雄は、所有する土地(常楽寺参道)にタカクラ・テルを住まわせ、庭を山本宣治記念碑建立の地に提供。警察に取り壊しを命じられるも、秘かに自宅の柏屋別荘に運び庭石に見せかけて隠す。警察には「一切を破砕いたし、その片影を留めなく候」と顛末書を提出。38年間守り抜く。再建にあたっても、土地(安楽寺境内)の確保に尽力した。